偉人たちの横顔

電気の魔術師、発明王を打ち負かす

ニコラ・テスラ 1856~1943

世界初の交流モーターを発明

テスラは、1856年、現在のクロアチアで、セルビア人司祭の家に生まれました。記憶力が抜群で、コガネ虫を駆動源に小型風車を動かした子どもは、長じて名門グラーツ工科大学に入学。ここで出合ったのが発電機とモーターでした。当時、この種の機器は交流を直流に変換する必要があり、作動すると火花が散り、大きなエネルギーを損失していました。「電流変換が不要な交流モーターであれば効率的なのに…」と考えた彼は頭の中で試作を始めます。
当時、電流・電圧が周期的に変わる「交流」は扱いにくいエネルギーで装置の小型化も難しく、電動機はすべて「直流」でしたが、テスラは、この弱点を克服すれば「交流」は電力の主役になれると考えたのです。
そして1882年2月、ブダペストの電話局で働きながら研究を続けていた彼は、公園を散歩中、交流を二つ以上組み合わせることで滑らかに回転する「誘導電動機(回転磁界)の原理」を考案。(図1)(図2)これに基づく二相交流モーターを設計すると話題になり、エジソン社の欧州法人(パリ)に電気技師として採用されました。

エジソンとの「電流戦争」を制す

交流モーターを完成させたものの価値が分かる社員が存在せず、テスラはエジソン社長に評価を仰ぐため渡米・面談すると、本社の電気技師に任命されます。しかし、二人は“水と油”でした。交流式を優位とする理論家のテスラと、すでに世界各国で直流による発送電事業を進め、電球も販売していた実験主義者エジソンとの溝は深く、テスラは1年で退社して研究所を設立します。
そこへ手を差し延べたのが実業家ウェスティングハウスでした。彼はテスラに巨額の特許・使用料を支払い「交流革命」を起こそうとしたのです。こうして名高い「電流戦争」が勃発。エジソンは交流を危険な電気と印象づけるため、交流発電機で動物を感電死させたり電気椅子に採用させる凄まじいネガティブ・キャンペーンを展開しました。しかし、近距離しか電気を送れない直流に対し、電圧を容易に変えられ送電ロスが少ない交流の優位性は明らかで、ウェスティングハウス社とテスラはナイアガラ水力発電所やシカゴ万博の受注競争で勝利。発明王に痛烈な打撃を与え、交流を電力の標準に押し上げたのです。

情報も電気も無線で 世界中に送りたい

勢いを得たテスラは次々に研究領域を広げ、概念すらなかったラジオ放送、無線操縦の船、ネオン管、写真電送、電磁調理器、垂直離着陸機などを構想。その幾つかを試作し、「電気の魔術師」と呼ばれます。友人の作家マーク・トウェインは、電磁波の振動によるマッサージチェアを愛用したそうです。中でも人々の度肝を抜いたのが送電線が不要な無線によって、情報や電気を送る「世界システム」構想でした。これに感心した投資家モルガンから巨額の資金を得て、高さ60mのアンテナ塔や発電所を備えた研究施設の建設に着手します。
ところが完成目前の1901年、イタリアのマルコーニが簡易な仕組みで大西洋間の無線通信に成功し、テスラへの評価は一変。出資者たちは資金を引き揚げ、やがて研究所は閉鎖に追い込まれました。
長身でハンサムながら病的な潔癖症や独言癖。生涯独身でホテル住まいを通し、鳩を愛した孤高の天才は、第二次大戦さなかの1943年、86歳で世を去りました。彼が発明した発送電システムや交流モーター、構想した数々の電気機器は21世紀の必需となっています。(図1)(図2)(図3)

(図1)

(図2)

(図3)二相交流モーター

(図4)ラジオ

(図5)ラジコンボート

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