偉人たちの横顔

20世紀の電化生活を発明した“なぜなぜ少年”

トーマス・アルバ・エジソン 1847~1931

好奇心が強すぎ小学校を3カ月で退学

江戸幕府がペリーの来航で大騒ぎになった嘉永6年(1853年)、米国ミシガン州の港町で、7歳の少年が入学3カ月で小学校を放校されました。のちに「発明王」となるトーマス・エジソンです。彼は好奇心が強すぎる問題児でした。学校ではあらゆる授業で「それはなぜ?」を連発して教師を怒らせ、家では燃焼実験のミスで納屋を焼失させました。製材所を営む父は見放しましたが、元教師の母はこの7番目の子の教育を引き受け、専用の実験室まで与えて科学への好奇心に応えたのです。専門知識の吸収には図書館を活用しました。
12歳になったトーマスは、実社会を知るため鉄道の売り子となり、社内新聞を発行するなど起業家の片鱗を見せますが、走り出した列車に飛び乗るため同僚が耳を持って引っ張り上げ、片耳が難聴になるアクシデントにも見舞われました。しかし、列車に轢かれかけた駅長の息子を助けたことが縁で、当時の最先端である電信技術を学ぶ機会を得て鉄道会社に雇われます。

電信技師から発明家へ、そして事業家へ

トーマスは身につけた技術をもとに、持ち前の独創と合理精神で、議会向け電気投票記録機、株式相場表示機(ティッカー)など人力を電気で省力化する装置を発明。そして、ティッカーの特許売却で得た4万ドル(現在の2億円相当)を資金に、22歳で研究所と工場を設立し、電信技術やティッカーの改良でさらに特許を取得しながら専業発明家としての地歩を固めていきました。
30歳を前に研究所をニュージャージー州に移転し、人材を集めて次々に画期的な製品を開発します。例えば、グラハム・ベルが特許取得した翌年、自らの難聴体験を活かし音質の良いカーボンマイクロフォン式受話器を備えた電話機を開発。その研究で浮上した「音を記録する」アイデアを実用化した蓄音機「フォノグラフ」を発明して大ヒット。さらに、ランプやローソクに代わる照明器具として発案された白熱電球(図1)の実用化競争で、フィラメントの改良による長寿命化に成功。全米に普及させて名声を不動のものにしました。この時、フィラメントの材料を探すため世界中に調査員を派遣し、日本の真竹にたどり着き飛躍的に点灯時間を高めたエピソードはあまりに有名です。(図2)(図3)

「20世紀の電化生活」はエジソンの贈り物

後半生も波乱万丈です。画期的な発明で喝采を浴びる一方で、同業者への競争心のあまり「訴訟王」の異名をとるほど法廷闘争を繰り返しました。先行した蓄音機ではベルリナー(グラモフォン社の創立者)の改良によって成功の果実を取り損ねました。また、エジソン研究所の従業員テスラが唱えた交流による送電方式に頑なに反対し、直流の送電システム(発電所や電線の架設)を推し進め、結局は電流戦争に敗北。自ら設立した「エジソン・ゼネラル・エレクトリック社」(後のGE社)の社長を退き、社名から名前を消される屈辱まで味わいました。エジソン社の元従業員で、後に自動車王として君臨するフォードとは終生変わらぬ友情で結ばれましたが、「彼は偉大な発明家だが実業家には向いていない」とエジソンを評しています。
それでもエジソンの功績は今も燦然と輝いています。何より石炭から石油へ代わるエネルギー変革期に、送電システムを整備し、照明・オーディオ・映画・トースターなどの機器を次々に開発し、人々が想像もできなかった『電化生活』を提示したのです。それは「20世紀」という新時代そのものを発明したといっても過言ではありません。

(図1)白熱電球

(図2)蓄音機

(図3)キネトスコープ(映画の原型)

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