偉人たちの横顔

“放射線防護の父”は、セレブな研究者

ロルフ・マキシミリアン・シーベルト 1896~1966

御曹司は、経営より科学がお好き

被ばくの健康リスクの指標となる国際単位「シーベルト(Sv)」。その由来となった物理学者ロルフ・シーベルトは、ドイツからスウエーデンに移住し、電線製造で成功した父マックス・シーベルトの長男でした。17歳の時に父が他界すると莫大な財産と経営権を相続しますが(図1)、彼は将来の進路を決めかね、いくつもの大学で理学・数学・機械など幅広い知識を修得。23歳で電線製造会社の代表に就任するとともに、ノーベル研究所の助手に採用されます。これが医学放射線への関心を抱く契機となり、翌年には自費で渡米し、放射線の研究・治療施設を視察する中で医学と物理学の共同作業の必要性を痛感します。
28歳で理学修士となったロルフは、放射線によるがん治療や放射線防護を研究する私設機関「ラジウムヘメット」に入所。無給にも関わらず私財を投じて物理実験室を開設し、放射線測定や防護機器の開発に力を注ぎました。一方、会社の経営には身が入らず、32歳の時、全株式を叔父に譲渡して科学の道に専念します。

放射線防護の重要性を 国内から世界へ

ロルフは生真面目な科学者であると同時に、組織の運営や資金調達でも能力を発揮しました。勤務したラジウムヘメットでの研究は、やがて国立放射線防護研究所という行政機関と放射線物理研究所・放射線生物研究所に発展しますが、彼はその立役者の一人でした。また、病院で使うX線装置やラジウムの線量計測を標準化するため、車両に機器を搭載して地域の病院を巡回する移動測定部門を設立したり、第2次大戦後の冷戦下で各国が核実験を繰り返する中で、移動測定車による観測網を整備しました。(図2)
さらに活動はスウェーデン国内にとどまらず、放射線防護の機運を高めるため国際会議で指導的な役割を果たし、ICRP(国際放射線防護委員会)の設立に関わり、自身も委員長を務めました。シーベルトの努力は死後20年目に劇的な成果をもたらしました。1986年4月28日早朝、フォッシュマルク原子力発電所の職員が大気中の異常な放射線量を観測し、事故発生かと大騒ぎになりました。実はこれがチェルノブイリ事故による放射線拡散の初観測で、事故を隠そうとした旧ソ連政府の目論見を打ち砕いたと言われます。まさにシーベルトが整備した観測網のおかげでした。

(図1)父親が興した電線工場

(図2)機材を積んでスウェーデン各地を走り回った放射線測定車

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