世間を痺れさせたオランダ生まれの蓄電瓶
ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク 1692年ー1761年
ライデン大学の先生、世界初の蓄電瓶を発明
英国のグレイが静電気の伝導性を発見した後、科学者たちは「発生させた電気を溜める方法」を模索しました。そんな中で、オランダのライデン大学教授ミュッセンブルークは、水の中に電気を溜められるのではないかと考えました。そして、試行錯誤の末、1746年にガラス瓶を水で満たし、真鍮の棒を入れると電気エネルギーを保持することを発見したのです。
実は静電気が溜まるのは、水でもガラス瓶の中でもなく、絶縁された2つの導体の表面に溜まっているのですが、それが解明されるのは少し後のことです。
しかし、ミュッセンブルークは実験の過程で人が感電して倒れるほどの経験から、溜めた電気エネルギーを放出する(放電させる)には、ガラス瓶内部の導体(真鍮棒)と外側の導体(初めの実験では、人間の手)をつなげばよいことも発見し、フランスの物理学者ルネ・レオミュールとノレ神父に教えました。
見世物として世界に広まったライデン瓶
実験が発表されると、人々は驚き興奮しました。特にノレ神父の公開実験は派手で、インパクトも強烈でした。フランス王と臣下が見守る中で、180人もの近衛兵が手をつないで輪をつくり、一人の兵士が蓄電されたライデン瓶をつかみ、隣の兵士が瓶の握りを触った瞬間、全兵士に電気が伝わり一斉に跳び上がったのです。また、パリの大修道院で同様の公開実験が行われ、通電と同時に手をつないだ修道僧たちが一斉に跳び上がりました。
こうした実験が英国やヨーロッパ各国で行われ、やがて見世物として世間に広まり、英国の植民地であるアメリカ大陸にも伝わりました。
驚くことに、ミュッセンブルークがライデン瓶を発明したわずか5年後の1751年(宝暦元年)、摩擦起電機とライデン瓶を組み込んだ箱型の装置「エレキテル」が、オランダ人から江戸幕府に献上され、 1770(明和7年)には平賀源内が壊れたエレキテルの修復に成功しています。
さらに後年になって蘭学者の橋本宗吉が自らエレキテルを製作し、寺子屋の子どもたちに手をつながせて通電させ、「百人おどし」として知られるようになりました。
ライデン瓶は現代の電子部品コンデンサの祖先
電気を溜める機器といえばボルタが発明した「蓄電池」を連想しますが、ライデン瓶が生まれたのはその55年も前のことです。ミュッセンブルークの実験装置は、その後、複数の科学者たちが改良を重ねていきました。蓄電能力を高めるため瓶の内・外側の両方に金属箔が巻かれ、1747年頃には瓶の中の水が不要となり、現在も静電気の実験学習で使われているライデン瓶が完成したのです。
今日、電気を溜めたり放出したりする電子部品としてコンデンサやキャパシタなどの「蓄電器」が欠かせませんが、ライデン瓶はその原型とされています。