摩擦を科学し「電気」の命名者となった女王の侍医
ウィリアム・ギルバート 1544~1603年頃
中世ロンドンの開業医の研究
上等なキルティングの上着に流行のひだ襟をあしらい、地球を模した球形磁石に手を置く肖像。彼こそ史上初めて科学的な検証に基づき、静電気の概念に名称を与え、磁石の力とは異なるものと唱えたウィリアム・ギルバートです。
詳しい生い立ちは不明ですが、ケンブリッジ大学で医学博士号を取得し、29歳でロンドンに医院を開業した経歴から裕福な家庭であったと思われます。彼は医師のかたわら天文学や物理学など幅広い学問に関心を持ち独自に研究を続けました。
中でも磁石の研究はライフワークとなり、晩年に全6巻の大著『磁石論』を完成させます。その第2部で唱えたのが「琥珀のように、こすると物を引き寄せる力(静電気)と磁石が物を引き寄せる力(磁気)は異なるもの」という説でした。
摩擦が生み出す力を「エレクトリケ」と命名
ギルバートは「科学的な事実は、仮説を立て実験で確かめ、客観的な観察を経て初めて得られる」という信念の持ち主でした。「物を引き寄せる現象」の探求でも、琥珀のほかダイヤモンドなどの宝石・ガラス・樹脂もこすれば同じ現象が起こるとを確かめ、これらを熱すると現象が消え、磁石を熱しても引き寄せる力が消えないことを確認したのです。
これによって「摩擦で起きる現象と磁石で起きる現象は別の力によるもの」と結論付け、前者の性質を「エレクトリケ」と名付けました。これはギリシア語で「(琥珀のように)引き寄せるもの」という意味です。彼は摩擦によって目に見えない放出物が取り除かれることで、その物体が別の軽い物を引き寄せると考え、それを測ろうと「ヴェルソリウム」という検電器まで発明しました。当時の書籍はラテン語で書かれたため「エレクトリケ」は一般に広まりませんでしたが、17世紀にイングランドの著述家トーマス・ブラウン卿(1605~82年)が、この名称を英語流に「エレクトリシティ(electricity)=電気」と表現したことで広く知られるようになりました。
エリザベスⅠ世の侍医となりペストで死す
ギルバートは地球そのものが大きな磁石で、これが方位磁石の針が常に北を指す証拠としました。当時の人々は、針が北を指すのは北極が強い磁気を帯びた島だからと信じていましたが、彼は地球に見立てた球形磁石をつくり、エリザベス女王に原理を解説したといわれています。
こうした功績が認められ、ギルバートは1601年に女王の侍医に選ばれ、ナイトの称号を授かりました。しかし、わずか2年後に流行していた腺ペストにかかり、59歳で世を去りました。シェイクスピアがグローブ座で名作を次々に上演して大評判をとり、日本では徳川家康が江戸幕府を開いた頃の出来事です。