十字架とパリの曇天が幸運を引き寄せた
アンリ・ベクレル 1852~1908
乾板に十字架のシルエットを残した犯人は
1895年にドイツのレントゲンが放電管からのX線を発見した翌年、パリ工科大学の物理学教授ベクレルは、自分が研究中の蛍光物質もX線を出すのではと考え、写真乾板を使った感光実験を繰り返していました。蛍光物質は、日光の刺激によって蛍光を発するため曇天では実験ができません。
そして曇りの日が続いた早春、ベクレルは実験をあきらめ、写真乾板が感光しないよう黒い紙で包み、その上に当時は手軽に入手できたウラン塩と十字架型の文鎮を乗せて引き出しに入れました。
数日後、これらを取り出し、事前テストとして乾板を現像してみると、日光は遮断してあったのに、十字架の形がはっきり写っていたのです。
放射能の発見者として、その名前は永遠に
ベクレルは、乾板を感光させたのは、ウラン塩から透過力の強い「未知の放射線」が出ているからだと考えました。そして、これを「ベクレル線」と名付けて1896年春に発表。この発表に関心を持ったキュリー夫妻が、ベクレル線の研究を続けたことがラジウムの発見へつながり、ベクレルは後に「放射能(放射線を出す力)」の最初の発見者と認定されるのです。
1903年、ベクレルはキュリー夫妻とともにノーベル物理学賞を受賞します。さらに1975年に国際単位系の見直しが行われた時、放射能の強さを表す単位を従来の「キュリー(Ci)」から放射能を最初に発見した彼にちなんで「ベクレル(Bq)」とする名誉まで与えられました。